大阪のつきむすめ❤

【みんな知らないと思うけどw】おはよー06:16あ

【みんな知らないと思うけどw】おはよー06:16あと芭蕉パイセン←大石のために【壺碑】多賀城碑←を残して呉れていてエライ←^^ただひとこと、【重圧】アハハハハハハハハハハハなかなかイジワルパイセンよりW

★いいから(笑)

パグこまっちゃう

Adoこまっちゃう

壺碑(つぼの石ぶみ)

多賀城南門跡のすぐそばに立つ古碑です。「おくのほそ道」の旅で碑と体面した芭蕉は、この碑だけは変わらぬ姿を留めているのを見て、「泪(なみだ)も落つるばかり也」と、感動の文章を『おくのほそ道』にしたためています。

現在、多賀城碑と呼ぶこの碑は、江戸時代初めに発見され、すぐに「壺碑」の名で呼ばれました。「壺碑」とは、平安時代の終わり頃から歌に詠みこまれた歌枕で、西行(さいぎょう)や源頼朝(みなもとのよりとも)などの和歌で有名です。こうした著名な歌枕の発見は大きな話題となり、当時の文人や学者の注目するところとなりました。徳川光圀(とくがわみつくに)は、『大日本史』編さんのために派遣した家臣の報告で、碑が苔むした状態であることを知り、仙台藩伊達綱村(だてつなむら)に対し、碑を保護する覆屋(おおいや)の建設を勧めます。これを受けて間もなく覆屋が建てられ、今日に至るまで碑が守られています。